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アグネス・ラム とは
皆さんは、アグネス・ラムを知ってますか?
たぶん、ほとんどの人が知っていて
知らないという若い人でも名前だけは
聞いたことがあるのではないでしょうか
とても有名な人です
その昔、大フィーバー(死語)を起こしました
このサイト(ブログ)の最初の記事はアグネス・ラムを取り上げます
それでは、宜しくお願いします

アグネス・ラム (Agnes Nalani Lum)
その名前、音の響きには特別な力があります
おそらくほとんどの人が名前を聞いただけで頭の中に
超いい体した水着のカワイイ女の子を思い浮かべる事ができます
彼女こそが、日本初のグラビアアイドルです
アグネス・ラムが初めて日本に登場したのは
1975年(昭和50年)のことです
1956年5月21日生まれのアグネス・ラムは19才になったばかり
アメリカ合衆国ハワイ生まれ
156cm
90-55-92
この完璧に近いスリーサイズはグラマーと言われ
テレビCMに登場するや
日本中にアグネス・ラム・フィーバーが巻き起こりました

個人的な思い出になりますが少し書きます
気持ち悪い文章になるかもしれませんので
↓下まで飛ばして頂いて大丈夫です
すでに47年程が過ぎています
サイト管理人は当時小学校低学年
実はほとんど覚えていないのですが
1975‐78年辺りのアグネス・ラムフィーバーは
確かにすごかったと記憶しています
テレビにアグネス・ラムが映ると大喜びしてました
いつ、どの番組で何を見たのか思い出せないのですが
ドリフと紅白は見たはずです
自分の記憶の中では
輝く太陽の下、白い砂浜をビキニの女性が走ってくる
その時、彼女の胸が
ゆっさゆっさと揺れている
この映像が頭の中に残っています

ですが
後年見た、別の映像と混同しているのかもしれません
ただの妄想かもしれません
そんな映像はテレビには流れてないのかもしれません
確実に覚えているのは
家族で晩御飯を食べながらテレビを見ていて
アグネス・ラムが登場し、それを見ていた母が
「まあ、すごいボインちゃんね」
と発言した記憶です
ボインちゃん
まだ、【巨乳】という言葉は使われていなかったと思います
ただ、それも本当にアグネス・ラムだったのか
別の胸がデカいタレントだったのかまでハッキリしません
m(__)m

アグネス・ラム・フィーバーとは
この頃、まだまだ日本人の女性でアグネス・ラムほどの
グラマーなボインちゃんは少なく
まだまだビキニの水着も一般的ではなく
ましてや海辺を走る水着女性もいない
そんな中で健康的すぎるアグネス・ラムのグラビアが
日本社会を席巻しました
これがアグネス・ラム・フィーバーです
このような解説が一般的です
しかし、私にはその程度の説明では物足りないのです
私は実際にアグネス・ラム・フィーバーを体験しています
おぼろげな記憶の中で
強烈な事実が私を支配しています
アグネス・ラム・フィーバーとは?
これをもう少し詳しく、個人的な言い方で説明すれば
それは
ビキニの水着ではなく
グラマーなスリーサイズでもなく
笑顔でもなく
ハワイの白い砂浜でもなく
アグネス・ラム・フィーバーの正体、本質、核(コア)の部分
一番重要だった事
それは、私にとっては
アグネス・ラムの大きい胸が揺れた事です

そして、何よりも
まだ子供であった自分が
おっぱいがゆっさゆっさ揺れた事に驚いたこと
その時よりも以前から、大きいおっぱいは揺れると思っていましたが
現実の事として確認できたのが
アグネス・ラムが最初であり
おっぱいは揺れるんだ
大きいから揺れたんだ
やっぱりそうなんだと
まるで、アイザック・ニュートンが
物理的な法則を発見したごとく
自分も、オパイは揺れる物だと仮定➡発見したのです
それが何よりも一番の思ひ出です
m(__)m
あの頃の自分は確かに
アレは大きいおっぱいだ、いいおっぱいだ
オッパイだ、おっぱいだ、オパーイだと
意識し始めた事を覚えています
今、思い出せるのは
重そうでいて、しかも柔らかい感触がテレビの画面越しに
伝わってきたおぼろげな記憶です
というわけで
子供心にアグネス・ラムを見て
ドキドキしながら女性を意識し始めていました
確実に、自分は男
アグネス・ラムは女
つまり、アグネス・ラムが自分にとっての
性の目覚めになるわけです
m(__)m

多くの人が自分と同じような衝撃を受けたと思います
子供、若者へ与えた影響は計り知れない物があります
実際にグラビアを手に入れる事ができた若者はもちろん
テレビ等でしかアグネス・ラムを見る機会がなかった低学年世代にも
同じか、それ以上のインパクトを与えたと思います
おぼろげな記憶をたどります
実際にテレビで見た映像は
このような内容だったと思います
アグネス・ラムが登場し、司会者2人(男女)が左右から話しを聞く
司会者の質問に笑顔で答えるアグネス・ラム
この後、歌うか踊るか何か芸を披露します

踊りを披露中の様子が上の写真
この踊っている様子はダイレクトに衝撃が伝わります
腰の動きがたまりません
ですが、個人的に重要な事は
芸を披露する前に起きていました
司会者と会話中にアグネス・ラムが
右へ左へ顔を向ける
顔の動きに合わせて上半身も少しだけ左右へ向く
そのわずかな動きに目が行きます
ほんの数センチ、アグネス・ラムの胸が揺れます
いえ、揺れたように感じました
本当は揺れていないのかもしれませんが
自分の中では、確かにアグネス・ラムの胸が揺れた!
ことになっています
アグネス・ラムの胸が波打ったようにも思います
この事にとても興奮した記憶があります
その時、確かに聞こえました
アグネス・ラムの胸が動く音です
ゆさっ
所が、ここまで書いておいて何ですが
この記憶も願望が作った思い出かもしれません
m(__)m
1975年のドル円レートは300円を少し上回っていたようです
いまだ見ぬ遥かに遠いハワイ島の白い砂浜
まぶしい渚を走る笑顔はじけるアグネス・ラム
アグネス・ラムの胸が
ゆさっ
走るたびに
ゆさっ、ゆさっ
走り続けると
ゆっさ、ゆっさ
夢が、幻が、走ってくるよ!



グラドルのイメビを見てすでにご存知の方も多いと思いますが
巨乳ちゃんが本気で走ると、おっぱいはどうなりますか?
おっぱいの動きはどうなりますか?
正解は、上下に激しく動く、です
決して、ゆさゆさなんてカワイイ動きではありません
アグネス・ラムのおっぱいも軽く上下に動いてます
↑↓ ここまで個人的な感想でした
くどくど書きましたが
このブログを読んでいる方へ伝えたいことは
デカい胸が揺れた
これこそが当時のアグネス・ラム・フィーバーの正体に他なりません
と言う事です
アグネス・ラムのおっぱいの揺れに合わせて、日本列島もまた揺れたのです
ゆっさゆっさ
では、これから簡単にアグネス・ラムについて解説します
どうぞ宜しくお願いします

アグネス・ラムの影響力
アグネス・ラムは1975年以来
日本社会へ多大な影響を及ぼしています
エピソードが多すぎて拾いきれませんが
有名な物をいくつか書きます
アグネス・ラム・フィーバー このフィーバーはジョン・トラボルタ主演映画
「サタデーナイトフィーバー」1978年の大ヒットからきてます
熱狂的で加熱状態にあることを意味してます
アグネス・ラムは1975年から活動していますが、長く人気が続きました
コスプレの定番、「うる星やつら」のラムちゃん
この名前の由来がアグネス・ラムからきています
漫画への影響力は他にも
「こちら葛飾区亀有交番前派出所」3巻にラム巡査として登場
月刊少年マガジン1976年9月号に「アグネス・ラム物語」が掲載。いわゆる伝記漫画です
水着としてのビキニは1946年に発表されましたが
アグネス・ラムが登場した1975年頃、日本でビキニはまだまだ着る人は少ない水着でした
ほとんどの女性はいわゆるワンピース、スクール水着みたいな形の物を着ていました
アグネス・ラムが大活躍した影響で70年代後半から、若い芸能人特にアイドル達は
基本的に水着はビキニになったそうな
アグネス・ラムは歌手活動もしています
レコードもシングル、アルバム共に2枚出ています
(ベスト盤や企画物は複数あります)
アグネス・ラムが歌っていないのに、アグネスがジャケット写真の
謎のシングルレコードが存在します
昔はこういう企画系のレコードがありました。便乗商品?
JACKという名前のバンド(グループ?)のシングルレコード(EP)です
ジャケット写真はすぐに見つかりますが、音源が見つからない
タイトルは「アグネス・ラム賛歌」浜口庫之助 作曲 中原聡 作詞

グッズ、家宝 がザクザク
長年大事に保管されている物が多く、種類も豊富
ポスター、カレンダー、広告、トレイ、時計、etc
色々と見ていく中で、そう言えば昔はこんなのあったなというアイテム
パネルを取り上げます
今でもポスター屋さんがありますが
最近ではフレームに入れて飾ることが主流と思います
昔はフレームなどありません
昔はポスターを木のパネルに貼り付けた物を売っていました
パネル屋です
ヤフオク等に出品されているアイテムの多くは色あせたり日焼けしたり
長い間大事にされていたお宝なのだと分かります

上のはパネルに時計が付いた豪華な物
アグネス・ラムの場合、ビキニの色や柄でどの写真集に使われていたのか
すぐに分かったりします


こちらはトランプ

雑誌の折込グラビア

花柄が特徴的な水着

これもパネル
ポスターを入手した人が自作でパネルに貼り付けた可能性もあります

映画「太陽の恋人 アグネス・ラム」

1976年9月に劇場公開された東映映画「太陽の恋人 アグネス・ラム」
全編25分の短い作品です
アグネス・ラムの日常を撮影し、インタビューで声が聞けます
水着場面は少しだけ
なぜ、作品の時間が短いのかといえば
日本映画は通常90分作品2本立てプログラムで興業を組んでいました
ですが、短~中編作品を付け足して3本立てにすることがありました
これが元々、短い尺の作品が存在する理由です
テレビに人気を奪われ、客足の戻らない状況を打破するべく
人気爆発中のアグネス・ラムを利用しようと考えた映画人がいました
東映映画社長の岡田茂さんです
彼のアイデアでアグネス・ラムの映画が作られたのです

これは昔は広く普及流通していたフジ8ミリフィルム盤
家庭で映写機を使い、ホームシアターを楽しむことができました
そしてこの映画の主題歌がこちらです
高中正義「スイートアグネス」!

これが、高中正義の1stシングル!1976年8月発売

こっちはジャケット2ndバージョン!
色々と突っ込み所が多いジャケットです
アグネス・ラムらしき女性の絵もなかなかのインパクト
タイトルをよく見ると、スイートアグネスの前に小さく【嗚呼!】と付いてます
これはおそらく、映画を作った東映の意向なのかと推測できます
同じ1976年、「嗚呼!!花の応援団」も大人気で映画化されています
どおくまん人気にあやかりましたね
高中正義はアグネス・ラムの大ファンでソロ1st『SEYCHELLES』を
録音中に、作業を一時中止してハワイまでアグネス・ラムに会いに行き
2時間程対談した逸話が残ってます
「Sweet Agnes」は高中正義の2ndアルバム「TAKANAKA」に収録されています

高中正義の映像作品集「go-on」
こちらにも映画の映像が少し使われています
そして、映画「太陽の恋人 アグネス・ラム」はDVD化もされました

こちらは、限定品の豪華DVDセット
ポスターのレプリカ等付いてます
雑誌の表紙に出ると売上が伸びる現象
アグネスが表紙を飾りました雑誌、写真集を集めてみました























ここからは近年の雑誌類です
デジタル修正されているとはいえ、使用される写真は昔のままです
古さを感じません





アグネス・ラムが愛され続ける理由
胸だろ!体だろ!等とご意見あると思いますが
少しマジメに考えますと
おカラダはもちろんですが
アグネス・ラムが日本で人気を博した理由は第一にそのルックスに秘密があります
ルックスとはつまりお顔です
アグネス・ラムは、父親がアメリカ人(中国系)
母親がアメリカ人(イングランド、アイルランド、ポルトガル、ハワイ先住民のルーツを持つ)
ですので複雑な血筋です
そこが日本での親しみやすさ、憧れに繋がっていると思います
そして、第二の愛されポイントですが
アグネス・ラムは4人姉妹の末っ子です
アグネス・ラムの笑顔はまさしく、家族の中で愛されて育った人の笑顔です

いかがでしたでしょうか
時空を超えて愛され続けるアグネス・ラムの魅力を
少しはお分かり頂けましたでしょうか

最後まで読んで頂いて
ありがとうございます
ビキニ姿のグラビアアイドルの祖
アグネス・ラム
記事を書きましたが
思い違いや間違いも
あるかと思います
ご指摘頂けると幸いです
それでは、失礼します